浄土真宗は聞いて救われるのではない 称えて助かるのでない 法蔵菩薩の成就されたまことをお聞かせ頂いて今南無阿弥陀仏と救って頂くのであります。信ずる一念は信ぜせしめ賜う本願力のなせる技 お育て頂く道中のすがたなり。

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法座のご案内

■ 当山では毎月、1日 15日 16日 25日 26日
定例の法座(法話会)をひらいております。
朝席は、9:30〜正午まで
昼席は、13:30〜15:30(時間が延長する場合もあります。)まで勤まります。
ご家族の皆様お誘いあわせの上、どうぞお参り下さい。

永代経とは

◎永代経(えいたいきょう)とは、こちらもたいていの寺院では春と秋に勤められるものであります。別段、永代経と言うお経があるわけではなく、永代読経(えいたいどきょう)を略して永代経と呼ばれております。

「永代」とは、末永くいついつまでも、ということ。「読経」とは、お経を読むことです。  永代経という言葉には、「永代経懇志(えいたいきょうこんし)」「永代経法要」の二通りの意味が含まれております。

「永代経懇志」とは、自分は今幸いにして、こうして佛法のご縁に遇わせていただけたが、見佛聞法の道場としてのお寺がいついつまでも維持され、末永くお経が読まれ、み教えが聴聞(ちょうもん)できて、佛法が子々孫々に伝わるように・・・

との思いでお供えさせていただくのが「永代経懇志」です。そして、その施主さんをはじめ、一般の方々にも広く呼びかけて開かれる法座が、「永代経法要」です。というのが、真宗における永代経を勤める意義と一般的に説明されるところであります。

 先にも登場しましたが、善導大師は「お経は譬えていえば、心の鏡ですよ、しばしば読みそのお経に説かれえる佛さまの御心を尋ねていけば思いもよらなかった己の姿に気がつかされます」と述べられておられます。

私たちは、鏡をみれば衣服の乱れ
、頭髪の乱れなど容易に自分の現実の姿を見る事ができ、その乱れを整え直す事が出来ます。が、心の乱れというものまでは、鏡は心のどこが乱れているのかまでは映してくれません。

お経を読むと言う事は、教養を広めることではなく、人間一般の知識を得る事でもありません。お経に説かれる、佛さまの親心を聴かせていただき、はっきりと己の姿を教えていただくという事であります。

本当の自分に会わせていただくと言う事です。すなわち、勝手な自己解釈を超えた自分にあわせていただけるという事であります。自分の思い通りに事が運んでいる時は、意気揚々とし、自分や他人をいとおしく思っているのが私という人間であります。

これが、一転
事が思い通りにゆかなくなると、その途端、意気消沈し、自分や他人を持て余してしまう。そんな中で、自分の思いに適うものを増やし、思いに適わないものを減らしてゆけば幸せになれると思っている。

しかし、自分の思いに適うものをどれだけ増やし、どこまで減らせば
自分は満たされるというのであろうか・・・と苦を避け楽を求めている自己は迷いの世界にどっぷりと浸かっている事にさえ気づいていないのが私たちであると、佛法は教えて下さっております。

本当の自分の姿を知らないということは、
眠って夢から覚めてないのに、夢を現実と思っている状態と同じ事かと思います。教えを学ぶ(聴く)という事を通して、自分の姿が明らかになってゆくとき。本当の意味において、人間として命を賜った私の人生が始まるのではないでしょうか。

それは、どこから歩み出せばいいのかという出発点と、どこに向かってゆけばいいのかという帰着点がはっきりしたという事であります。自分の命を砂時計に譬えれば、一番くびれた部分そこに今の私があると思ってみて下さい。

その上には逆三角に広がっていく無数のご先祖の
方々の命のバトンを私は一心に受けて今の私が存在しているのです。10代遡れば、1024人のご先祖さまがおられ、17代遡れば百万人を超える先祖の方々がおられる計算になります。

その内の誰か一人でも欠けることがあれば、今の私は存在してないわけです。血脈のなかに確かに、過去
無数のご先祖様方と共に生き、同じみ教えを聴かせていただく中で、両の手の平を合わせる中に、亡くなられた方々と会い会う世界を味合わせて頂く事ができるのではないでしょうか。
ならば、砂時計の一番絞られたベンチュリーと呼ばれる部分にいる私であるならば、そこから下に、
三角形に広がっていく、子々孫々とも遇い得る道、子々孫々が再び迷いの世界に帰る事のないようその道を、教え伝えて行く。

今、自分がその番をご先祖様方から継承しているといただいてみて下さい。子々孫々から、手を合わされても恥ずかしくない生き方、人生を歩んでいるのか、今一度法の鏡に映し出されたご自身の姿をみせていただいて下さい。

そうしましたら、この度は故人の尊い命をもって教えていただけた、阿弥陀佛の願い。人と争う必要もなく、安心して頂き、保つ事の出来る宝物を私たちは既に頂いたこの身であります。その宝物こそが、「南無阿弥陀佛」という名号六字の阿弥陀佛が現に私の中で、私を救う働きとなってくださっている

信心即ち、まことの心と呼ばれる佛さまの御心そのものであります。この、宝物を宝物とはっきりと教えていただいた私は、この宝物を子供に、孫にと確かに伝えていく役目があるんだなと永代経法要にお参りさせていただく度に強く思わされる次第であります。

そうした思いで御聞かせ頂く事が永代経法要と言えるのではないかと頂いております。
                                       
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おしながき

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